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熟練の技はAIに移せるか――「Physical AI Nexus Japan #3」で見えた技能伝承の現在地


2026年8月28日(金)、Fujitsu Uvance Kawasaki Tower内のUvance Innovation Studioで開催された「Physical AI Nexus Japan #3―現場知を未来へつなぐ、技能伝承とスマートファクトリー―」に参加しました。

今回のテーマは、製造業が直面している熟練者の退職、人材不足、設備の老朽化に対し、暗黙知の可視化やAIによる判断支援、ロボットへの技能移植をどのように進めていくかというものです。

私はこれまでスマート農業や農業DXに関わってきましたが、製造業と農業には共通する課題が少なくありません。

経験や勘に支えられた判断が多いこと、作業条件が毎回同じではないこと、ベテランの技が言葉やマニュアルだけでは伝わりにくいことです。

そのため、今回の議論は単なる「工場の自動化」の話にとどまらず、農業における技能継承や人材育成を考えるうえでも、非常に示唆に富む内容でした。


フィジカルAIとは、AIが現実世界で判断し行動すること

生成AIが文章や画像など、主にデジタル空間で成果を生み出すのに対し、フィジカルAIは、カメラやセンサーから現実世界の状態を捉え、状況を判断し、ロボットや設備などを通じて現実世界に働きかけます。

しかし、今回の登壇者に共通していたのは、「高性能なヒューマノイドを導入すれば、技能伝承や人手不足の問題が解決する」という考え方ではありませんでした。

AIやロボットに仕事を任せる前に、人間が何を見て、何を基準に判断し、どのように身体を動かしているのかを理解しなければなりません。

その前提となる「現場知」を把握することこそ、最初の大きな壁だということです。

富士通の青柳一郎氏は、図面や最終成果物だけをデータ化しても、「なぜその設計にしたのか」という背景までは残らないと指摘しました。

ロボットやAIに仕事を代替させるには、結果だけでなく、そこに至る判断の理由まで形式知化する必要があります。

一方で、人間の嗅覚、触覚、味覚など、現時点では機械による代替が難しい感覚もあります。

すべてを機械化するのではなく、人とテクノロジーの最適な役割分担を探ることが重要だという問題提起でした。


ツムラ――自然物を扱う製造では、条件のばらつきへの適応が核心になる

ツムラの川上亨氏からは、漢方薬製造の自動化とスマートファクトリー化について紹介がありました。

同社は長期経営ビジョンにおいて、2031年に2021年度比で生産性を2倍にする目標を掲げています。

漢方製造の難しさは、原料となる生薬が自然物であることです。

同じ品種でも、栽培条件、収穫時期、産地などによって、大きさ、物性、成分量が変わります。同じ設備を同じ設定で動かしたからといって、常に同じ品質になるわけではありません。

単純な繰り返し作業の自動化は進められても、原料の状態に合わせた微調整には、なお人間の判断が必要になります。

講演では、熟練オペレーターが行っていた装置やロボットのパラメーター調整を数値化し、蓄積したデータをAIに学習させることで、調整精度を高めた事例が紹介されました。

また、生薬の異物や不良を見分ける目視選別にも画像認識を活用し、省人化を進めているとのことでした。

一方、計画、判定、トラブル対応など、経験に基づく判断業務の自律化は難航しています。医薬品製造では、品質保証や規制への対応も不可欠です。

技術的に可能であることと、責任を持って現場に導入できることは同じではありません。

この点は、農産物の品質判定や栽培判断にも共通する問題だと感じました。


ロート製薬――ロボットだけでなく「空間そのもの」を賢くする

ロート製薬の固城浩幸氏は、三重県伊賀市の上野テクノセンターを実証フィールドとする「ヒューマノイド開発プロジェクト」を紹介しました。

同社は多品種・小ロットで需要変動も大きく、計画、移動指示、確認など、多くの仕事が現場の経験や勘に支えられています。

印象に残ったのは、「AIが正しい判断を出しても、それだけでは現実世界は変わらない」という指摘です。

AIが出した判断を誰かが実行しなければならず、サイバー空間における判断と、現実世界での行動をつなぐところにフィジカルAIの役割があります。

同社は、最初からすべての工程をヒューマノイドに置き換えるのではなく、CPS(サイバーフィジカルシステム)で現場の課題を可視化したうえで、身体的負荷が高く、導入効果を見込める物流領域などから実装を進めています。

さらに、ロボット単体のカメラやセンサーだけでは、曲がり角の先や現場全体を把握できません。

そこで、カメラやセンサーを空間側にも配置し、環境そのものを賢くする「アンビエントインテリジェンス」という考え方が示されました。

フィジカルAIは、ヒューマノイドと同義ではありません。

人、設備、ロボット、空間側のセンサーを組み合わせ、働く場所全体を進化させるという視点が重要です。


荏原製作所――「1秒の壁」を、弟子入りと動作分解で越える

荏原製作所の助松裕一氏は、産業メタバースプラットフォーム「Beyondverse®」と、技能伝承の仕組みである「DOJO」を紹介しました。

同社は非常に多品種な製品を扱い、長い歴史の中で独自の技術や作業方法が積み重なっています。

工場をデジタルツインとして再現し、設備、IoT、人の動線などをデータ化しても、なお捉えきれないものがあります。

それが、熟練者が一瞬で行う無意識の調整です。

助松氏は、これを「1秒の壁」と表現しました。

熟練者の隣に、現場改善などの経験を持つメンバーが弟子入りし、「今、何をしたのか」「なぜそうしたのか」を一つずつ聞き出し、動作を要素作業まで分解していきます。

Oリングを装着する作業の例では、映像だけでは分からない「手前にねじる」といったコツを抽出し、訓練と評価につなげていました。

単にマニュアルを作るのではなく、実際に手を動かして学び、速度や正確性を記録し、本人が成長を確認できる循環まで設計している点が特徴です。

形式知化は文書を作るだけでは完結せず、学習と習熟の仕組みまで必要だということが分かります。


Kikuvi――一度きりの聞き取りではなく、判断を継続的に採取する

Kikuviの佐藤拳斗氏は、AIが質問設計、ヒアリング、深掘り、構造化を行うAIヒアリングエージェントを紹介しました。

暗黙知を残そうとしても、人がすべての拠点や社員に聞き取りを行うことには限界があります。

AIを使えば、多人数に対して並行して質問し、回答に応じた追加質問を行い、結果を構造化できます。

ただし、AIに目的を与えず、「何でも聞いて」と任せても有効なヒアリングにはなりません。何を明らかにしたいのかという設計が必要です。

特に興味深かったのは、異動や退職が決まってから引継書を作るのでは遅いという指摘です。

数年前の失敗や判断理由は忘れられ、過去の経験は美化されがちです。

そこで、毎週の振り返りを継続的に聞き取り、その時点での成功、失敗、判断理由をスナップショットとして残しておきます。

技能伝承を退職時の特別な行事にするのではなく、日常業務に組み込む考え方です。

また、人間同士の信頼関係や、本人が語ること自体に意味がある「ウェットなヒアリング」と、手順や事実を収集する「ドライなヒアリング」は分けるべきだという整理も重要でした。

AIで代替できる聞き取りと、人間が行うべき対話を区別する必要があります。


BrainPad AAA――ロボット導入の前に、現場の損失と手順を可視化する

BrainPad AAAの辻陽行氏は、現場作業に特化したAIエージェント「COROKO」を紹介しました。

作業映像から手順書やマニュアルを生成し、固定カメラの映像から、人と設備の稼働状況、待ち時間、ボトルネックなどを分析する取り組みです。

同氏の問題提起で重要だったのは、フィジカルAIの投資効果を人件費削減だけで評価しないことです。

高額な設備が停止したときの逸失利益、品質事故やリコールのリスク、本来発揮すべき設備性能との差などを捉えると、投資判断の見え方は変わります。

また、重要な作業ほど複数人で監督しながら安全に行われるため、その日に安全を担保した判断が記録として残らないという逆説も示されました。

まず映像や音声を残し、正常時・異常時の事例を蓄積し、手順を構造化する。

そのうえで、人、専用ロボット、ヒューマノイドのどれに任せるかを考えるべきだという順序です。


LOOVIC――作業中に見られないマニュアルではなく、短い音声で伴走する

LOOVICの山中享氏は、空間タスク伴走支援「TASK+al(タスカル)」を紹介しました。

熟練者が現場で見ている対象に、短い音声と静止画による指示を紐づけ、後から作業する人をその場で支援する仕組みです。

作業中に長い動画や文章を確認すると、手が止まり、認知負荷も高くなります。

そこで、一つの指示を原則15秒以内にし、「黄色い線を確認して、右の赤いボタンを押す」といった、その場で実行できる単位に分解します。

熟練者も、長いマニュアルを書くのではなく、スマートフォンで写真を撮り、普段の言葉で注意点を残せます。

これは知識を保管するだけではなく、必要な場所、必要な瞬間に届ける設計です。

農業でも、選果場、農業機械の点検、施設園芸の設備操作など、手を動かしながら学ぶ場面への応用可能性を感じました。


イマクリエイト――人の身体技能を、VRからロボットへ移す

イマクリエイトの山本彰洋氏は、熟練者の身体動作を計測し、VRで人に学ばせ、さらにロボットへ移植する取り組みを紹介しました。

溶接トレーニングツール「WeldNext」では、熟練者の動きを仮想空間に再現し、学習者がその軌跡に自分の動きを重ねて練習できます。

実際の母材を使わず、暗い溶接環境を見やすくしたり、距離や角度について即時にフィードバックを得たりできるため、初心者教育だけでなく、失敗できない一品物の作業前リハーサルにも活用できます。

さらに、けん玉の熟練者の動きをヒューマノイドに移植した事例が紹介されました。

単なる動作の再生だけでなく、カメラで対象の位置を認識し、結果のずれを次の動作へ反映する学習も組み合わせています。

身体技能の記録が、人材育成の教材からロボットの教師データへと発展していることを象徴する事例でした。


HuRoC――技術の完成を待たず、現場の使い方から実証する

HuRoC代表の星野裕之氏は、ヒューマノイドの普及を、かつて自動車が都市や生活様式まで変えたことになぞらえました。

日本は労働人口の減少が先行する国であり、ヒューマノイドを早い段階で社会実装せざるを得ない可能性があります。

一方で、現在のヒューマノイドには、何に使うか、どこに置くか、どのように人と共存するかという答えが、まだ十分にありません。

そこでHuRoCでは、大田区をフィールドとして、町工場、警備、イベント時の人流、地域課題など、具体的な困り事からユースケースを作る活動を進めています。

印象的だったのは、「まずやる」という姿勢です。

完成した万能ロボットを待つのではなく、レーザー刻印に使用する部材の移動など、小さく具体的な補助作業から試していく。

技術起点ではなく、現場の困り事を起点に実証するという進め方は、スマート農業の実装にもそのまま当てはまります。


技能伝承を阻むのは、技術だけではなく組織と感情

パネルディスカッションでは、技能伝承が進まない理由について議論されました。

ベテランにとって、長年かけて身につけた技能は誇りであり、自分の存在価値そのものでもあります。

「暗黙知をデータ化したいので話してください」と求めるだけでは、協力を得られないことがあります。

経営トップが技能伝承を経営課題として位置づけ、本人にとって意味のある参加の仕方を設計することが必要です。

具体例としては、熟練者の経験を「武勇伝」として聞き取り、本人の歩みを冊子や社内記事として残す、技能を技術標準の本としてまとめる、社内で熟練者を“アイドル化”して称える、知識提供や自動化への貢献を報酬に反映するといった方法が紹介されました。

つまり、技能伝承は単なるデータ収集プロジェクトではありません。

熟練者の誇りを尊重し、「自分の価値が奪われる」のではなく、「自分の仕事が次世代に残り、組織から正当に評価される」と感じられる仕組みが必要です。


私が投げかけた「大谷翔平」と「伝統工芸」の質問

質疑応答で、私は二つの論点を一つの質問として投げかけました。

一つ目は、技能移植の目標を常に最高レベルに設定する必要があるのかという点です。

野球に例えれば、大谷翔平選手の動きを100点として完全に再現しようとすると、データ取得も学習もロボットも非常に高コストになります。

しかし、実際の用途によっては、「草野球のエース」程度の合格水準を安定して出せれば十分かもしれません。

その場合、100点をどのように定義し、どこで開発を止めるべきなのでしょうか。

二つ目は、伝統工芸のように、希少性や作り手の個性が価値を生む分野についてです。

名人と同じものをロボットが大量に作れるようになった場合、技術は継承できても、作品や職人の付加価値を下げてしまう可能性があります。

技能を残すことと、その価値を守ることをどう両立するのかという問いです。

山本氏の回答は、まず用途ごとに「その仕事における100点」を設定するというものでした。

草野球で求められる水準が目的なら、その水準を100点と定義する。

溶接のような仕事では、見た目の動作だけでなく、最終的な品質を生む力加減や、状況への適応まで含めて評価する必要があります。

また、大谷選手の動作データを使っても、身体能力や個体差があるため、すべての人やロボットが同じ結果になるわけではなく、その差の中に独自性も生まれるという趣旨でした。

この回答から、技能伝承の目標は「名人の完全なコピー」ではなく、用途に応じた合格条件を明確にすることだと理解しました。

一方、伝統工芸の価値については、技術的な再現性だけでは解決できません。

誰の技能を基にしたのか、どこまでを機械が担ったのか、職人本人の作品とロボットによる製品をどう区別するのか、データ利用への同意、対価、表示、ブランド管理などを含むルール設計が必要です。

技能のデジタル化は、保存と普及に役立つ一方、無制限な複製も可能にします。

だからこそ、技術開発と同時に、技能データの来歴、権利、対価、真正性を守る仕組みまで考えなければならないと感じました。


製造業の取り組みをスマート農業に置き換えると何が見えるか

今回紹介された各社の取り組みは、農業にも次のように置き換えることができます。

AIによる継続的なヒアリング

栽培期間中に行った判断、失敗、天候への対応、病害虫への対応などを週次で記録します。

栽培終了後に一度だけ振り返るのではなく、判断した直後の新鮮な情報を継続的に残すことが重要です。

作業映像から手順と注意点を抽出

整枝、剪定、摘果、接ぎ木、農業機械の点検、選果・調製などを映像で記録し、どの部分を見て、何を判断しているのかを抽出します。

短い音声を場所や対象に紐づける

ハウス設備、潅水装置、選果ライン、農業機械などに、その場で必要となる短い作業指示や注意事項を残します。

VR・MRによる事前訓練

農業機械の操作、危険を伴う作業、薬剤散布、剪定などを、実際の作業に入る前に繰り返し練習できる環境を整えます。

AIによるパラメーター最適化

品種、生育状態、気象、土壌などに応じて、潅水、施肥、環境制御などの設定を調整します。

空間側のカメラやセンサーによる支援

ロボット単体を高性能化するだけでなく、圃場、ハウス、畜舎、選果施設などの空間側にもカメラやセンサーを配置し、現場全体で安全と状況を把握します。

熟練者の動作をロボットへ移植

収穫、選別、摘果、整枝などの作業を記録し、部分的な自動化や作業支援につなげます。

ただし、農業では生物と自然環境を扱うため、製造業以上に条件が変動します。

同じ作業でも、品種、生育段階、天候、土壌、病害虫、個体差などによって正解が変わります。

見本となる動作をそのまま再生するだけでは足りず、「何を見て、どのような条件なら、なぜその動作を選ぶのか」という判断軸を残す必要があります。

一方で、すべての暗黙知を最初から完全に形式知化しようとすると、プロジェクトは進みません。

まず、言葉にできる知識、映像で捉えられる動作、数値で示せる判断から始める。

言語化できない感覚には印を付け、訓練、センサー、触覚計測など、別の手段を検討する。

この段階的な進め方が現実的です。


フィジカルAI導入の出発点はロボット選びではない

今回のイベントで最も強く感じたのは、フィジカルAI導入の出発点はロボット選びではないということです。

最初に行うべきことは、現場の仕事を観察し、熟練者の判断を聞き、作業を要素に分け、何を人に残し、何を支援し、何を機械に任せるのかを決めることです。

そのうえで、文書、映像、音声、センサー、VR、AI、ロボットなどを適切に組み合わせます。

投資効果についても、削減できる人件費だけで測るべきではありません。

設備の停止リスク、品質事故、教育期間、安全性、技能喪失、設備稼働率、働く人の身体的・心理的負担などを含めて評価する必要があります。

そして何より、技能伝承は人を不要にする取り組みではありません。

人が単純作業や危険作業だけに追われず、判断、改善、創造、顧客との対話など、人にしかできない仕事へ時間を振り向けるための仕組みです。

スマート農業でも、技術導入そのものを目的にしてはいけません。

現場の仕事と判断を理解し、農業者が持つ知恵を尊重しながら、次の世代に残せる形へ変えていく。

その先に、AIやロボットが本当に機能する農業があるのだと思います。

※本記事は、2026年8月28日に開催された「Physical AI Nexus Japan #3」での講演およびパネルディスカッションを、筆者の参加記録として再構成したものです。 登壇内容は趣旨を損なわない範囲で要約しており、発言の逐語録ではありません。

【関連リンク】

Physical AI Nexus Japan公式サイトhttps://painexusjapan.com/

ロート製薬「ヒューマノイド開発プロジェクト」https://www.rohto.co.jp/news/release/2026/0331_01

LOOVIC「TASK+al」https://www.loovic.co.jp/

イマクリエイト「WeldNext」https://ima-create.com/weldnext/


 
 
 

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