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スマート農業イノベーション推進会議(IPCSA)設立総会レポート ~農業者主体の新たなスマート農業の幕開け~

2025年6月27日、東京・霞が関にて「スマート農業イノベーション推進会議(IPCSA/イプサ)」の設立総会が開催されました。会場は満席で、オンライン参加者も約1000名に上り関心の高さが際立つイベントとなり、「国がスマート農業に本気で取り組み始めた日」ともいえる象徴的な場となりました。本記事では、この設立総会の背景と目的、当日のプログラム概要、主な登壇者のメッセージ、そして参加して得られた知見や今後への展望について分かりやすくまとめます。


イベントの趣旨と背景:スマート農業推進の新たな枠組み

日本の農業は現在、担い手不足や高齢化、気候変動への対応、国際競争の激化など、かつてないほど多様で複雑な課題に直面しています。特に基幹的農業従事者は今後20年で現在の約116万人から30万人程度まで減少すると予測されており、生産基盤の弱体化が強く懸念されています。こうした課題を乗り越え農業の持続可能性と生産性向上を両立するためには、AI・データ・ロボット技術など先端テクノロジーを最大限に活用したスマート農業の本格的な普及が不可欠です。

政府もスマート農業を重視しており、2019年には農林水産省がスマート農業の大規模実証プロジェクトを開始しました。これまでに全国217地域で先進技術の実証が行われ、生産性向上や労働時間削減、収益アップに関する多くのデータが蓄積されています。今後はその現場データを農業者にフィードバックし、徹底的に活用していくことが重要だとされています。

さらに昨年10月には「スマート農業技術の活用推進法」が施行され、スマート農業を実践する農業者や事業者を支援する新たな制度が設けられました。この法律に基づき、生産方式革新計画や開発供給計画の認定を受けた者には支援措置が講じられます。農研機構(NARO)は同法に基づく開発供給計画の認定事業者に対する技術試験支援や補助などを行い、スマート農業技術の現場普及を迅速化すべく取り組んでいます。また農研機構内には7か所のスマート農業実証フィールドも整備されており、現場で技術を試せる環境づくりも進められています。

このように国を挙げたスマート農業推進策が進む中でも、現時点では「先端技術の本格普及にはまだ道半ば」であるとの指摘もあります。そこで産官学の連携をさらに強化し、開発から現場実装までの好循環を生み出す新たな枠組みとして設立されたのがスマート農業イノベーション推進会議(IPCSA)です。IPCSAは農業者を中心に、民間企業、大学・研究機関、自治体、JA、農業高校・大学など多様なプレーヤーが参画する協議会であり、スマート農業技術の開発と普及の好循環(エコシステム)形成を促進することを目的としています。

IPCSAの主な機能・活動内容として、総会では次の5つの柱が説明されました。


  • ニーズ・課題の収集と分析: 現場の声を丁寧に吸い上げ、技術開発や活動方針に反映する

  • 情報の収集・共有・発信: 会員専用サイト等で知見や先進事例を共有し発信する

  • マッチング支援: オンラインやイベントを通じて関係者間の連携を促進する

  • 人材育成: 全国の研修情報提供や独自の人材育成プログラム展開を行う

  • 共通課題の解決: 共通の課題を共有し、解決策の設計やコンソーシアム構築を支援する


多様な関係者が集いオープンイノベーションのコミュニティを形成することで、「現場起点の課題解決」と「技術普及」の両輪を回していくプラットフォームとなることが期待されています。


設立総会のプログラム概要

当日の設立総会は、多彩なプログラムを通じてスマート農業推進の方向性が示されました。主なプログラムは以下のとおりです。

  1. 開会・主催者挨拶(事務局代表): 農研機構 理事長・久間和生氏より挨拶。続いて農林水産省 大臣官房技術政策室長・齋賀大昌氏より、IPCSAの運営体制や活動内容の説明。

  2. IPCSA運営委員長の決意表明: スマート農業実践農家である㈱浅井農園 代表取締役・浅井雄一郎氏(IPCSA運営委員長)が、設立に際して現場代表の立場から決意表明。

  3. 基調講演: 「スマート農業推進に向けて」女子栄養大学教授・東京大学名誉教授の中嶋康博氏による講演。スマート農業の未来展望と政策の方向性について講演。

  4. 優良事例の紹介: スマート農業技術の活用や開発に成功している事例として2件の取り組みが発表されました。おしの農場(山形県)の押野日菜子氏からはドローンや営農支援システム(KSAS)等を活用した地域内データ共有と生産性向上の取り組み、㈱Rootの岸圭介氏からはAR技術を用いた農作業支援アプリ「Agri-AR」(低コストで導入可能)の開発について紹介がありました。

  5. パネルディスカッション: 「スマート農業技術の活用促進におけるIPCSAが果たすべき役割」をテーマに、農業生産者・サービス提供者・研究者・企業経営者など多様なパネリストが登壇。モデレーター(日本総合研究所チーフスペシャリスト・三輪泰史氏)の進行のもと、現場での課題や今後の展望について活発な議論が行われました。


プログラムを通じて、IPCSA発足の意義や今後の具体的な活動方針、そして現場の声や期待が余すところなく共有された印象です。それでは、特に印象深かった主な登壇者のメッセージを見てみましょう。


主な登壇者のメッセージと要点

農研機構・久間理事長の挨拶:危機感と期待の表明

主催者を代表し挨拶に立った農研機構 理事長の久間和生氏は、冒頭で日本農業の置かれた厳しい現状に言及し、「農業の担い手減少と生産基盤の弱体化」という危機感を示しました。その上で「AI・データ・ロボティクスなど先端技術を総動員したスマート農業の本格的普及が不可欠」と強調し、技術によって生産性向上と持続性の両立を図る必要性を説きました。久間氏は農林水産省と農研機構が連携して進めてきた実証プロジェクトの成果にも触れ、蓄積されたデータを現場へ還元し「技術の実装・定着を徹底して進めたい」と述べました。

また、2024年施行のスマート農業技術活用推進法によってスマート農業実践者への支援策が始まったことに触れ、農研機構としても認定事業者への技術支援や実証フィールドの提供など普及加速に貢献する姿勢を示しました。そして挨拶の締めくくりでは、「IPCSAは産学官の多様なプレーヤーが参画するコミュニティ形成を通じ、スマート農業技術のエコシステムを形成することが目的」であると説明しました。農業者・企業・研究者・行政などの垣根を越えた協力体制によりイノベーション創出を目指すこと、そして「IPCSAを中心に全国でスマート農業の波を起こし、日本の農業を強い産業へ成長させたい」との強い期待が語られました。


IPCSA運営委員長・浅井雄一郎氏の決意表明:「現場」と「技術」を真のパートナーに

運営委員長に就任した浅井雄一郎氏(㈱浅井農園 代表取締役)は、自身も先進的な農業経営者としてスマート農業に挑戦してきた経験から、現在の「スマート農業は現場(農業者)が技術導入の実験台・データ提供者になりがち」な状況に危機感を示しました。浅井氏は「このままでは『スマート農業から生産現場が取り残されている』」と述べ、現場と技術開発者が真にパートナーとなる関係性を築く必要性を訴えました。

その決意表明の中で浅井氏は、IPCSA運営にあたり特に重視したいポイントとして次の3つの決意を挙げています:

  • 正確な技術評価と情報共有: 現場で試した技術の効果をきちんと評価し、失敗も含めて信頼関係の中で情報共有していく

  • オープンマインドな協力体制: 「Ubuntu(ウブントゥ)」に通じる思いやりとコミュニティ精神を大切に、立場を超えてオープンに協力し合う場を作る

  • 官民連携の深化: 行政と民間、政策と現場がしっかり手を取り合い、一緒に課題解決に取り組むことでイノベーションを生み出す

浅井氏は「農業者が主役となり現場発のイノベーションを起こしていくんだ」という強い覚悟を示し、参加者に向けて「IPCSAを皆さん自身のプラットフォームとして積極的に活用してほしい」と呼びかけました。その熱意あふれるメッセージに、会場からは大きな拍手が送られました。


基調講演・中嶋康博教授の示した未来展望:イノベーションで食料システム全体の生産性向上を

基調講演では、女子栄養大学教授で東京大学名誉教授の中嶋康博氏が「スマート農業推進に向けて」をテーマに講演しました。中嶋氏はまず日本の農業政策の最新動向として、2023年に改正された食料・農業・農村基本法と新たな食料・農業・農村基本計画に触れ、その中でスマート農業が重要な位置を占めていることを紹介しました。特に基本計画策定の議論を通じて明確になったのは、「減少する農業労働力や資本投入を補い、いかに農業産出を維持・向上させるか」という問いに対する答えが“イノベーション”であるという点でした。

中嶋氏は「フードチェーン全体の生産性向上」が求められていると強調し、農地管理から播種・収穫、流通・加工、消費に至るまであらゆる段階で技術革新と連携が必要だと説きました。スマート農業の範囲も圃場内に留まらず、食料生産から消費までの幅広いステージで効率化と高度化を図るべきとの視点です。そうした包括的アプローチのハブとして「IPCSAが大きな役割を果たすことを期待する」とも述べ、スマート農業の未来像を描いていました。

また講演では、農業現場での技術導入が目的化してはいけない点にも触れられました。ただ機械やICTを導入するだけではなく、「その技術をどう使いこなして経営革新につなげるか」が鍵になるとの指摘で、農業者自身がデータや技術を創意工夫して活用する重要性が語られました。この考え方は浅井氏のメッセージとも通じるものであり、会場の参加者もうなずきながら聞いていたのが印象的でした。


パネルディスカッションから見えた現場の課題と展望

プログラム後半のパネルディスカッションでは、農業者・企業経営者・技術提供者・専門家といった多様な立場のパネリストが、現場でのリアルな課題やスマート農業普及への展望について活発に意見を交わしました。議論の中から浮き彫りになったポイントを、専門家の視点で整理してみます。

  • 技術導入の目的は「儲かる農業」実現: 議論を通じて一致したのは、スマート農業技術は導入すること自体が目的ではなく、収益性を上げて「儲かる農業」を実現する手段であるという点です。「スマート農業技術を入れれば自動的に生産性が上がるわけではない」と指摘し、技術導入による利益向上が見込めることが普及のカギになると述べました。実際、企業経営でも家族農業でも「儲かる」と分かれば誰もが技術導入を前向きに検討するはずであり、現場と提供者双方が“経済的メリット”というベクトルを合わせることが重要だとの提言です。

  • 現場の基盤整備と経済合理性の重視: 技術の効果を最大化するには、従来の農法や圃場管理といった基盤整備も並行して進める必要があるとの指摘もありました。例えば「スマート技術を導入する際は樹形管理など基本作業の改善も必要」とコメントし、これは新法における「新たな生産方式の導入」にも通じる視点です。また、技術導入によって一時的に単収(面積当たり収量)が下がる場合も考えられるが、労力削減などトータルで見れば経済的にプラスになるケースも多いとし、生産性向上と経済合理性のバランスを見極めることの重要性が強調されました。要は、スマート農業技術を評価する際には収量だけでなく労務コストや品質向上効果などを含めた総合的な視点が必要だということです。

  • 労働負担の軽減が人材確保につながる: 現場発表でも紹介されたように、ドローンによる農薬散布の導入で重労働だった背負い式作業を無くし、女性や高齢者でも容易に作業できるようになったという実例があります。パネルでもこの話題が取り上げられ、スマート技術による作業の省力化・安全性向上は「農業の担い手を増やす」効果があるとの認識が共有されました。実際「農業に興味はあるが体力に不安が…」という人にとって、最新技術がサポートになることで参入ハードルが下がる側面があります。スマート農業は単に効率化するだけでなく、多様な人材を農業に呼び込むポテンシャルを秘めていると言えるでしょう。

  • IPCSAへの期待:知見共有と共創による課題解決の場に: 議論の最後に、モデレーターが「今日出た課題やアイデアこそ、まさにIPCSAで皆で共有し一緒に解決策を考えていくべきもの」とまとめたのが印象的でした。参加者からは中山間地農業への技術適用について質問も出ましたが、「特殊な環境向けの新技術を待つより、現在ある技術をどう応用できるか考える発想も必要」「現場から『こんなサービスが欲しい』と提案していくことも重要」といった助言がありました。こうした現場の生の声が飛び交い、知恵を持ち寄って解決への道筋を探るプロセス自体がIPCSAの真骨頂であり、参加者はその意義を実感したように思います。

全体を通じてパネルディスカッションでは、各々の現場努力だけでは限界があること、異なる知見を持つ者同士が連携することで初めて突破口が見えてくることが再認識されました。そして「その連携の核となるのがIPCSAなのだ」というメッセージが、参加者の心に強く刻まれたようです。


知見と今後への展望

設立総会に参加し、特に感じたのはスマート農業推進のステージが明確に次の段階へとシフトしたということです。かつてはICTベンダーや機械メーカーが主導する「技術ありき」の傾向が強かったスマート農業ですが、今回の総会では「農業者が主役」であり「現場ニーズ起点」であることがこれほどまでに強調されたのは画期的でした。政策担当者の発表や基調講演のメッセージからも、技術そのものよりもそれを使いこなす農業者の役割が重視されていたことは明らかです。

今後は先行事例を持つ先駆者たちの知見も積極的に共有し、経験者と初心者が交流し学び合う場としてIPCSAを発展させていくことが望まれます。

総会を経て浮かんだ今後への提言として、以下のポイントを強調したいと思います。


  • 農業者の「プロ経営者」化の支援: スマート農業時代には、農家は単に作物を作るだけでなくデータを活用した経営判断、人材育成、販路開拓、異業種連携など経営者としての視点が求められます。官民連携やIPCSAのようなプラットフォームを通じて、農業者がそうした能力を磨き主体的に動けるよう支援することが重要です。例えばICTを使えば小規模農家でも圃場管理やコスト把握が容易となり、結果として収益性向上に直結します。「データを見て学ぶ農業」への転換を現場で支える施策が必要でしょう。

  • ユーザーフレンドリーで低コストな技術普及: 現場目線で技術を見たとき、使いやすさとコストは普及の決め手です。にあるように、スマホで使えるアプリが年間9000円程度という低コストで提供されれば、営農現場への導入ハードルは格段に下がります。今後も現場のニーズに寄り添った安価で汎用性の高い技術開発・普及策が求められます。

  • 共創型エコシステムの形成: IPCSAは単なる情報交換の場に留まらず、異なる分野の人々が共に課題を見出し解決策を創り上げる「共創のエコシステム」のハブを目指しています。課題が複雑化する中、「何が問題か」を洗い出すところからみんなで考え、挑むことで、今は見えない壁をも乗り越えていくーーそんな文化を根付かせることが、日本の農業革新において非常に重要です。IPCSAにはぜひ業種や世代を超えたネットワークを広げ、共創を生み出す場として成長していってほしいと思います。


今回の設立総会は、まさに日本のスマート農業が新たなステージに踏み出す第一歩でした。農業を「かっこよくて、稼げて、感動のある」仕事にしていく大きな転換点であり、会議にはその可能性と熱意があふれていました。日本の農業がこの流れの中で大きく飛躍し、若い世代が憧れる産業へと変わっていくことを期待しています。

最後に、IPCSAは2025年7月1日時点で早くも約953の会員が登録するなど順調な船出を切っています。農業者・行政・企業・研究者といった多様なバックグラウンドを持つ人々が集まり、それぞれの知見や技術を持ち寄って「スマート農業」という未来を共創していく。その中心にIPCSAというプラットフォームがあることは非常に心強いと言えるでしょう。私たちも現場と政策・技術と経営をつなぐ橋渡し役として、この動きを全力でサポートしていきたいと思います。日本の農業の明るい未来に向け、共に前進していきましょう。 ▼アーカイブ動画はこちら

 

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